新しくキーボードを買ったから、キーを殴打したくてしたくてたまらない。
ここ10年は、キーボードは消耗品と割り切って安物を使いまわしていた。壊れれば捨て×2───を続けていた。
新しくした瞬間に、そのタッチ感の相違が違和感となって不愉快な思いをしていたが、それでも2,000円程度のキーボードだからしょうがないよね───と。
ミスタッチも多かった。イメージ通りの文字が書けていないことは日常的にあったし、スムーズな指の動きが制限されたりといったことは当たり前だった。しかしそれは、自分のタッチ能力の問題と、自分のスキル不足を原因として考えていた。
そんな意識であったが、ここ数カ月で余りにもキーボードが壊れる体験をした。壊れなかったとしても「苛っ」とするような不具合が頻繁に起きた。
その度に、新しいキーボードを購入していたが、2ヶ月に2回もそれが続けば「高価なキーボードを買っちゃってもいいんじゃなかな?」なんて思考が働くようになるよね。その思考を後押ししたのは、物欲という感情が影響したのは言うまでもない。
それにしても、最近の安価キーボードは耐久性とクオリティ(キータッチ)の低いものが多い。以前、テクニカルライターを生業としていたころは、(20年ほど前のGateway製Windows機)端末付属のキーボードですら良い品質ものであった。とても使いやすくキータッチにも慣れたこともあり、ハードが変わってもキーボードだけは長年使い続けていた。
それでも、やはり物理的な破損ということはいつかは遭遇するわけで、愛着のキーボードを手放すことになってからは、安物を使いまわせばいいかな───、とそんな気持ちに変化して今日まで来たわけだ。
感覚というものは、不思議と現状に馴染むようにプログラミングされているようで、安価なキーボードを使い続けていることでミスタッチや不具合なども「スタンダード」という意識となっていった。
そんな感覚でいたキーボードに対しての意識が、今回奮発して購入した1万円超えのキーボードで一変した。キーの入力(タイプミス)が大幅に減り、自分のキータッチ能力に自信が蘇ってきた。
「こんなことならもっと早くに───」という後悔は、何かをバージョンアップした時には必ず現れる感情であるが、今回は「高価なキーボードに変えてみよう」とふと沸き起こった思考に感謝したい気分だ。
不思議なもので、このふと沸き上がる感情、感覚というものに素直に向き合うとよい方向に進むことはなかなか多い。この感情、感覚はいったい何処から降りてくるのだろう。「ヒラメキ」とか「虫の知らせ」とかそういった類のものなのか、脳に記憶されていた忘れていた記憶が、何かの拍子に蘇り、自分に伝えてくるのか?自分が経験していたことでなくても、本能がそれを求めるように指示を出しているのだろうか───。
なにはともあれ今は、キーを殴打することを何十年かぶりに楽しいと感じている。