7年に一度、寅と申の年に行われる天下の大祭「御柱祭」は、メディア等では「おんばしらさい」と言われていますが正式には「式年造営御柱大祭」(しきねんぞうえいみはしらさい)と言われています。その全てが諏訪の氏子の奉仕により執り行われる諏訪大社最大の神事になり、起源や由来などは詳らかではありませんが、室町時代の「諏訪大明神画詞」という記録には、平安初期の桓武天皇(781~806)の時代に「申・寅の干支に当社造営あり」とあるのが最初の記録で、起源はさらに遡るとも言われています。
御柱を建てるのには宗教的な流れや建築的な立場から諸説様々あり、神殿を造営する遺風を尊重し、その代わりに四本の御柱だけを建て替えてきているという説の他、神域示すという説、など20説以上あるそうです。御柱の本数は、諏訪大社の上社前宮・本宮、下社・秋宮、計4つのお宮にそれぞれ各四本ずつ建てられ、また諏訪地方全域で秋にはゆかりのある神社等各地区に点在する様々な神社でも「小宮祭」で御柱が行われています。
御柱際は大きく分けて『山出し』と『里引き』の2つの日程で行われます。まず4月に行われるのが、神木で伐採され御柱を里へと運ぶ『山出し』です、氏子達が集まり、厳粛な神事の後、木遣りの合図で、3日間の山出しが始まります。
『上社』
綱置場(つなおきば)と言われる八ヶ岳の麓、標高約1300mから残雪の八ヶ岳を背景に里へと向かいます。上社御柱の特徴である柱から角の様に突き出す“めどでこ”に氏子が跨り“おんべ”を振って木遣りと供に曳行開始となります。
最大の見所は、傾斜27度、約50mの木落し、歓声の中、御柱は技と度胸によって坂を下ります。山出し最後の難関が宮川の川越し、八ヶ岳からの雪解け水で御柱を清める意味があるといわれています。そして御柱屋敷に安置され5月に行われる里曳を待ちます。
『下社』
棚木場(たなこば:下諏訪町の深い森に囲まれた東俣渓谷沿)、伐採から1年経て古式に則った厳粛な綱渡の神事を迎え、氏子たちによって綱打ちされた曳綱が12tを超える御柱を曳出し里へと向かいます。その後、上社同様最大の見所、傾斜35度、約100mの木落し、柱には氏子が数人乗り猛然と坂を下ります。木落し坂を下った御柱は注連掛(しめかけ)に5月の里曳まで安置されます。
5月になると上社、下社ともに里曳が始まり上社は綱置き場から前宮、本宮 下社は注連掛けから春宮、秋宮へと曳行し各柱が宮入れされ御柱のフィナーレとなる御柱で祭りの幕を閉じます。里曳は市街地ともなり山出しとは違い上社、下社ともに華やかさが増し一気にお祭り気分に変わります。曳行路縁沿いには露店も沢山並びとても賑やかな雰囲気です。
上社は茅野駅、下社は下諏訪駅から歩いてのアクセスも容易なので観光客も多いです。どちらかと言うと里引きの方が御柱を近くで見ることができ、見所かと思います。全日程での人出は180万人以上とも言われています。
秋に行われる各地区の御柱は、子供達を楽しませる所も数多く有り、とても和やかなお祭りです。
E-CHARI ガイド
新美 高志(チャラ美)/激坂好きサイクリスト
ガイドとして、皆さまに「歓び」と「嬉しみ」と「楽しさ」を伝えていけるプロのガイドになれるよう常に挑戦し続けたい。