八ヶ岳山麓をサイクリングしていると、等高線に沿って流れる、美しい小川を見ることができます。ときには白樺林を抜けて、ときにはカラ松の森を縫いながら…。
この美しい風景は、是非、楽しんでいただきたいポイントなのですが、よく考えてみてください。水は、高いところから低いところに流れます。つまり、自然には、等高線に沿って水が流れることはないはず…。そう、あまりに自然に溶け込んでいて気が付かないのですが、実はこの小川、250年近くもの間、ずっと維持・管理されてきた、セギという人工の灌漑施設なのです。このセギがなければ、コメ、トマト、トウモロコシ、セルリー、そば…など、食材豊かな今の原村はなかったかもしれません。それではこのセギ、一体だれが作ったのでしょうか。その歴史を紐解いてみましょう。
原村周辺の八ヶ岳山麓の南部は、もともと雨が少なく、また、火山である八ヶ岳の裾野は、地下に水がすぐにしみ込んでしまうため、川の水の量も少なく、常に水不足に悩まされていました。そして、このような水不足から、農業用水をめぐる争いも絶えませんでした。
そんな状況を解決しようと立ち上がったのが、茅野出身の坂本養川です。時代は江戸中期、アメリカ独立宣言の頃…。1775年、養川は、この水不足を解消しようと、「繰越堰(くりこしせぎ)」という新しい水利用を構想し、その開発を諏訪の高島藩に提案しました。
しかし、そのころ、高島藩はお家騒動の真最中…。養川の提案は聞き入れられませんでしたが、その後も、養川はあきらめることなく提案を続けます。そして、天明の大飢饉に見舞われ、農業生産を増やす必要に迫られていた高島藩は、1785年、養川の6回目の提案でやっとこれを認めます。
早速、養川は、最初のセギ、滝之湯セギを作り、その後、生涯をかけて15(諸説あり)ものセギを作ったと言われています。このセギのおかげで、原村は、食材豊かな地域となることができたのですね。
さて、この「繰越堰」について、少し説明しましょう。「繰越堰」というのは、八ヶ岳の山麓を東西に流れる川を用水路で結び、比較的水の量が多い八ヶ岳北部の川の余った水を、順々に南部の水が足りない地域へ送ることにより、その用水路沿線の農地を灌漑する仕組みです。セギは等高線に沿うように、一部では谷を超え、山肌を横に流していくので、必ず、どこかで自然の河川と交差することになります。
この自然の川を越えていく方法には、ダムをつくるもの、樋で渡すもの、中には、川の下にトンネルを掘り、サイフォンの原理を利用するものもあります。原村には、このサイフォンの原理を利用して川を超えている場所があり、ここは、是非、訪れていただきたいポイントです。セギの水が、一旦、川の下をくぐり、対岸で噴き出している様子を見ると、不思議な感覚を覚え、また、先人たちの知恵に驚かせられます。
サイクリングでは、是非、このセギに目を向けてみてください。養川の構想のスケールの大きさに驚き、そして先人たちの偉大な知恵に感動すること間違いありません。
E-CHARI ガイド
ハヤシススム(ムーさん)/登山好きサイクリスト
サイクリングならではのゆっくりとしたスピード感と、ダウンヒルでのスリル満点のスピード感を是非楽しんでいただきたい。